生きる意味なんてなし。
沢山の人が必死になって考えて、頑張って、知恵を出して、その果てにあったのは無。
その結論に異論はありません。
ですが、それだけだと味気ないですよね。
自分なりに無を拡張してきたので、まあ、ゆっくり見てってください。
唐突ですが、「死にたくない」という感情はどうしてあるのでしょう。
倫理などのしがらみを取っ払ってみたときに、我々は単なる肉です。なぜ我々は肉の塊の分際で、いずれ死を迎えると分かっていながら日々生存し活動を続けるのでしょうか。
当たり前ですが、それは「死にたくないと考える肉だけが存続したから」です。
我々肉の塊の始まり、原初の海において、生き残るための最重要因子は思考や行動というより運だったでしょう。
(知識が乏しいので妄想ですが、例えばちょこっと体の構造が違っただけでも、病気にかからなかったり、波にうまく乗って偶然危険を回避したりできるのでは、と思いました)
そして幸運にも生き残った生物のみが、その運の良さ──主に死ににくくなる行動の癖や身体機能──を継承、改良していきます。(痛みや不快感の概念も、ケガや病気、ストレスなどの死を齎す物に反応し、逃避できた生物が生き残る過程で出来たものではないでしょうか。)
最終的にそれは思考や感情、意思と呼ばれるまでになり、生物は「死を忌避する感情」を持つに至りました。
要は、危険なことに対して忌避感を覚えたりする傾向にある生物──ある程度ビビりな奴が生き残ったわけですね。
それを踏まえると、生物に自由意志という物はそもそも存在しないことになります。
全ての思考や行動は、そういう思考があった方が死ににくい、そう行動したら生き残った、という傾向の現れにすぎません。
つまり私たちは、生きることを大前提とした行動しか取れません。それを「した」時点で、自分の生存にとって有益に働く何かを見出したことになるからです。
例えば、誰かといると楽しくなるのも、沢山人間がいた方が生存率が上がるという理由かもしれません。
誰かが死んだら悲しくなるのも、自分が死ぬ可能性が上がるからという理由かもしれません。
そしてこの考察を書いているのも、読んでいるのも、何か生きるために必要だからなのでしょうね。
こんなものでしょうか。
現在夜の1時を回ったところです。いい加減寝ることにしましょう、明日に響きそうですし。
(生物関連の専門家の方から見たら噴飯物の論理かもしれませんが、あくまで思考法ということで許してクレメンス。)
2025/11/30 内容修正